このサイトはフィクションです。
ここにある地名、名称、団体名は全て実在するものとは一切の関係がありません。
↓↓↓↓行きたいページをクリック↓↓↓↓
↓↓↓↓入信はこちらのページで↓↓↓↓
球体真理教では、聖典「Holy scriptureTama」
に書かれた、222個の教えを元に
活動しています。
ここでは、
そんな222個の教えの中から、
ごく一部ですが、
抜粋して紹介させていただきます。
1 |
---|
たま様は尊き存在である。 |
8 |
たま様の気分を損ねるもの・こと、はあってはならないと心得よ。 |
24 |
人間は教祖以外みな平等である。なぜなら、人の上にはたま様しか存在しないためである。 |
56 |
戦争をするのは勝手だが、たま様を傷つけるものは許されない行為であり、破った場合は死、あるのみ。 |
126 |
たま様を信仰するのはいいが、たま様になろうとしてはならない。 なぜなら、たま様に一番近いものは教祖であるため。 |
182 |
信者は、教祖の意向になるべく従うこと。 しかし、教祖の権力を乱用することは許されないことであり、そのような者を教祖にしないことも、 立派な信者の務めである。 |
206 |
教祖はたま様のために尽くし、一生を持ってして、 たま様を称える覚悟を持つ者のみがなることを許す。 |
222 |
以下の図はこの世の理である。 たま様 /\ 教祖 /\ 球体真理教信者 /\ 一般人 これを重んじ、生活すること。 |
球体真理教の歴史を振り返ることができる貴重な年表です。
資料元︰ボール・ド・タマリーゼ国立図書館金庫内資料
SCENE | Matter |
---|---|
1222 | 齋藤たま一世生誕 球体真理教の前身である球理推進教会が誕生 小さな教会を建築し、そこで活動が開始。 |
1283 | 信者数10000人達成 大型大衆組織認定 |
1365 | 現在の教会のあるところにボールド・ザ・たま大聖堂Ⅰ建設 |
1483 | 教会に食堂の併設 |
1495 | 齋藤たま十二世生誕パーティーで休憩室・宿泊室の併設 |
1549 | 地震により講堂半壊 食堂を講堂として一時的に利用開始 |
1582 | 教会が打ちこわしにあう 宿泊室の2割焼失 |
1601 | 大規模な飢餓が発生 信者の半数が死亡 |
1743 | 半壊していた休憩室や講堂など、教会が完全再建 |
1746 | 球理推進教会から現在まで使用される球体真理教に名称変更 |
1758 | 齋藤たま五十世生誕パレード中に暴動が起き、その時の教祖が刺殺 |
1782 | 教祖を巡り初の教祖選別競走選挙の実施 |
1843 | 球体真理教が政治実権を握る宗教国家ボール・ド・タマリーゼ建国事業開始 |
1868 | 宗教国家ボール・ド・タマリーゼ建国開始 |
1882 | 宗教国家ボール・ド・タマリーゼ建国作業中に致命的な建設ミスが発覚し、作業に甚大な遅れが発生 建国完了予定が1900年から1930年に変更 |
1923 | 宗教国家ボール・ド・タマリーゼ建国完了 |
1944 | 第二次世界大戦の勃発によりわずか21年で宗教国家ボール・ド・タマリーゼ崩壊 戦争によりボールド・ザ・たま大聖堂Ⅰ崩壊 |
1945 | 甚大な被害をもたらした第二次世界大戦終戦 信者数は約2億7300万人から1億8200万人に激減 |
1982 | 第二次世界大戦の影響で減少していた資金がバブル経済の恩恵によりかつての面影を取り戻した ボールド・ザ・たま大聖堂Ⅱの建設事業開始を検討 |
2001 | ボールド・ザ・たま大聖堂Ⅱ建設開始 |
2009 | 食堂、宿泊室、休憩室などを完備したボールド・ザ・たま大聖堂Ⅱの建設完了 |
2010 | 1758年に刺殺された教祖が復活 日本国を第二のボール・ド・タマリーゼにするため、政治介入 球体真理党発足 |
2011 | ボールド・ザ・たま大聖堂Ⅱの開会 開会式典も行われた |
2020 | 齋藤たま一世復活 |
2022 | 球体真理党の投票数が野党と与党を合わせた数よりも高くなった |
2024 | 本ホームページ(球体真理教公式ホームページ「サイトTAMA」)開設 |
この年表に追加したいことがありましたらお送りください。